もはや

体内時計 体内カレンダー その他諸々ぐだぐだ バイトも早退常習 とりあえずゆっくり体を休めて温かいものを食う ゆっくりする 夕方 暗くなりはじめまでだらりぐたりべたり 高速バスを見送ってまた寝る ガキの使いスペシャルは見る すばらしい 面白いということは日常とのズレであるがそのズレの徹底さと日常的基盤との対比という点で既に「笑ってはいけない」という条件と旅行という構図がすでにもう勝ち バラエティ番組としてしかもゴールデンなのではしゃぎすぎな所も少なくないがコンセプトそのものを壊すものではないので単純にエンターテイメントとして成立している ズレを徹底させていくことで画面のなかの世界を全体的にズラしていく過程がじっくり見れる ある種の実験を見ているようだ また画面のなかで起こる笑いと視聴者側の笑いの違いも面白い 面白いとはどういうことか 笑いとはどこから生じるのか が条件のなかにいるか外にいるかで変わってくる 笑いの発生について考えさせられてしまたわ 日曜のガキの方でトーク中に松本が「お笑い視力」ということを言っていた つまりは許容範囲のことだが 誰にでも見えるつまり誰の許容範囲にもあるものは広くアピールはするが視力のいい人には押し付けがましい と 笑いを求めるということは未知の領域を開拓するということ 味わったことの無いモノを食べるとか そういう新しい感覚を使うことの快感だ うまい食べ物はいつ食べてもおいしいが新しい味と言うのはおいしい以外の別の感情もわく筈だ 満足を求めるか感動を求めるか エンターテイメント文学か純文学か というのもとても似ている 泣く行為などというのは本当に感動か それはただ記憶中に溢れる「満足」に満ちあふれた末の感情的な現象なのではないか そこに物語ごとの差異を重ねて新たな感動として感じてしまっているのでないか それは自分の求める感動とは違う 生の原動力として満足は不可欠だが目的としての感動も欠くことはできない 感動の感じ方一つで目的達成が得難いというのは何とも歯がゆい しかしもっと遠くを見たい というのもまた個性 個なくして差異は生まれない 差異があってこそ感情感動が生まれる まあ勝手にしろや ということか そういうことなのねー たぶん そんな年暮れの夜遅く 渋さのライブを思い出しながらギターでも触ってみれば弦が切れやがる ひげを剃る 髪を切りたい